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勇気のバトン

 これはけものフレンズのアニメシリーズ全体の感想と考えたことである。全話先に見ておくことをお勧めする。アニメ全体としてフレンズの動きや言葉、それによってかばんちゃんにもたらされる影響がよく目につくが、本エントリでは逆に、かばんちゃんがフレンズ達に与えたものは何かを考えてみたい。

フレンズ化してもけもの

 重要なポイントの一つとして「フレンズはヒトの形をしているが、それが極度に生活の変化を来していない」というポイントが挙げられる。鳥のフレンズは基本的に飛んで移動しているし、着ている服を認識していない。カバはさらっと泳げないことを明かしている。ジャパリまん等の配給を除いて外部から干渉しないことで元の動物としての生活様式を維持されているように思う。発展して、元の動物としての生活様式を崩さないことで「自分の力で生きること」を維持していると考えることもできる。できるできないを明確に取捨選択して伸ばすという戦略は、実に動物(けもの)のようである。彼女らの軸足はやはりけもの側にあり、それらは「フレンズによって得意なことは違うから」というあるがままを受け入れる言葉によって強調される。もちろん、その言葉や姿勢が当初のかばんちゃんを救ったのは言うまでもない。

ヒトというけもの

 もう一つのポイントとして、俗に「英知の時間」と呼ばれるかばんちゃんの活躍シーンがあるが、一旦人類史的な観点を排除して、自分自身の得意を増やし、不得意を克服する、能力獲得のプロセスと捉えたい。崖の移動が困難だったり、川を跳躍できなかったときなどに、かばんちゃんは何度も「ごめんなさい」を口にする。それは「できなければならないことである/であった」という自己認識から出ている(例えば、ジャパリバスのトレーラーヘッドが運べないなど、突拍子もないことで謝ったりはしないだろう)と考えられる。出来そうなのにできないことを良くないことだと思い、それを解決しようとするというかばんちゃんの行動指針は、あるがままを受け入れるけもの達とは一線を画す。  その行動結果として「かばんちゃんはすっごいんだよ、なんでも思いつくんだ」と褒めるフレンズもいれば「あなた、変わった子ね。でも、サーバルを助けようとしたのね」と、変わっていると評価するフレンズもいる。道中で木登りはどんどん上手になり、ついには飛んで走って泳ぐことで窮地のサーバルを助けることになる。

フレンズが"ヒト"を得るということ

 ヒトが変わっていく様を見たフレンズ達は、元の動物では考えられないような行動を取るようになる。「サーバル任せじゃダメよ」「基本逃げるのよ」と言っていたカバがかばんちゃんの援護をするなど、小さな変化は1話にも起こっている。最終話では、逃げる相手としていたセルリアンに対して集まって立ち向かった。多種で協力し合うということ自体もけものだった頃ではありえなかっただろう。持てる武器を駆使してぶつかったり、分担して落とし穴を仕掛けたり、あるいは知識を使って足止めしたりなど、戦闘風景も実にヒトのようであった。これは、以前のエピソードでかばんちゃんに感化されていなければなし得ないものだったのでは無いだろうか。そしてサーバルはかばんちゃんのためにできることを自分で考え、ついには火の恐怖すらも克服したのである。

結論

 自分や状況を変えることで困難を打開しようと思う気持ちは、かばんちゃんから出会ったフレンズ達に伝わったのである。このような気持ちを、ヒトの言葉では「勇気」と呼ぶ。今回は、かばんちゃんがフレンズ達に渡した勇気のバトンが返ってくる、という観点から全体構成の説明の余地を考えてみた。