幸せな夢と夜明け

最近は増田以外でもアイマスやめましたという記事が出てきて、それまでに増田で散見されていたものも含め、P廃業エントリにはそれぞれ違った味わいがあり良いことだなぁと思っています。薬物、宗教、呪い、いろいろな言葉で表現されるこのコンテンツですが、私は「今は」幸せな夢であると考えています。そして、そのような夢から覚めた人たちが綴る文章に、いつか自分が夢から覚めるときのことをぼんやりと考えるのでした。

一方でそれらの記事って何か怨嗟というか、後悔や呪詛や愚痴みたいなものが底で渦巻いているようで、なぜ文章からそういう印象を感じるのか、あんまり言葉にできなくてモヤモヤとした気持ちもありました。今回ブックマークしておいた記事を読み返していくと少しだけ見えてきたものがあったので、殴り書きのメモとして残しておきます。

推してるアイドルの最高レアのカードを引けなかったから担当とは言えないと苦悩する同僚、私のことをPとして慕ってるはずのアイドルはこんなことしないと言って抱いたイメージと折り合いが付かなくなる同僚。いろいろいました。"元"同僚たちはおそらく、アイドル達に対する愛情の証明に行き詰まっているんじゃないかと思いました。別にレアカードを持たなくてもアイドル達は私たちを慕うでしょうし、壁ドンされたままゆはあなたのことが嫌いとは言っていない。でも、元同僚達はそれに納得できなかったわけです。

アイマスのアイドル達(声優とかではなく、コンテンツとしての彼女ら)に限らず、この手のコンテンツでどうしても埋められない距離感があると思っていて、大まかに2つの特徴があると思っています。

  • アイドルたちは私たちに好きとは言ってくれない。愛されているという納得を自分でする必要がある。
  • アイドルたちは私たちを振ってくれない。私たちはいつだって自分から勝手に振られる。

「自分から振られる」とは何なのでしょうか。それは「愛されているという納得感が失われた」ことであり、その納得感となるものは課金なりレアカードの保有でもCDでも相手に抱くイメージでも何でもありではあるものの「自分で決めた愛情の証明」であるのだから、折り合いがつかずに行き詰まるというのは「自分で自分に幻滅している」と表現することもできるでしょう。

彼らが薬物や宗教や呪い、という言葉でP業務を締めくくるのは「それらにどっぷりハマっていた自分に対して幻滅している」ということでもあるんじゃないかと思います。彼らに取ってのアイマスというコンテンツは、それこそ薬物や呪術でもやっているような悪夢や幻覚になってしまい、もはや幸せな夢ではなかったのでしょう。

もうひとつ。それらのエントリって「アイマス辞めます」の後が書いてないことが多いんですよね。直近のはてなブログの彼(?)はどうやらFGOにどっぷりハマっているようですが、そのような次の夢の話だったり、あるいは続いていく現実のことが記事自体にはほとんど書かれていないのです。「今は元気に荒野や島でAKMぶっ放してます」とか書いてあると、中の人の継続性が感じられていいんですけどね。冒頭で私が「廃業エントリ」と表現したのも、ここら辺の転職感の無さを無意識に反映しちゃってるのかもしれません。

そして、そのような夢から覚めた人たちが綴る文章に、いつか自分が夢から覚めるときのことをぼんやりと考えてしまうのです。私が目覚めたとき、続いていくのが日常なのか次の夢の中なのかは分かりませんが、その時「幸せな夢の続き」を過ごしているのでしょうか。少しだけ、気になります。

追記 2018/01/31 22:39

あ、そうそう、上で言及したエントリの城ヶ崎美嘉赤城みりあの関係性については、特に美嘉が小さい子好きとかみりあがママとかそういう文脈は無いと思っていて、お互いが姉という同じ立場であるうえで、互いに与えて「姉であることに疲れたら背中を預けられる仲間」という関係性になったのではなかったかなーと思っています。長子って言葉に出来ないプレッシャーがあるからね。デレマスアニメの17話まで見ると良いと思います。